調理の手習い

食へのこだわりを忘れてしまった母親。食が細くなった母親。めんどくさい調理は避けようとする母親。また、母親の中にあった数多くの「レシピ」が消失してしまった。

そんな母親ではなかったはず。人一倍、食生活には気配りを忘れなかったのに・・・。家族のために手を変え品を変え、気の遠くなるような年月、食事を作り続けてきたのに・・・。しかし、それは決して、怠け癖がついたわけではない。ただ、意思とは関係のないところのものがそうさせてしまっているのかもしれません。ただ、食後の後片付けは決して、俺に任せようとはしない。食器を神経質に洗うところは以前とは変わらないと思う。

ほとんどの部分では劇的な変化を見せ、ある部分では長年の習慣を守ろうとしています。

食以外にも変化はある。しかし、それらを今は受容できるようになったのかもしれません。

できるだけ野菜を多く摂取してもらうために、しかし、肉類、魚介類、卵、牛乳などのたんぱく質の摂取も大事。台所で調理などすることがなかった俺が最近、そんなことをするようになった。ゴーヤチャンプルやチンジャォロース、といったものができるようになったのである。「これ、美味しいね~」と言われると嬉しいですね!!今度は、俺が「レシピ」を増やす番。

しかし、ついつい、出来合いの物に頼ろうとしてしまうのである。近くにあるコープ神戸などに行けば、何でもある。男一人でも十分に生き永らえるだけの優れものが揃いすぎているのである。今更ながら、世の中、便利になったと思うのである。

話しは飛躍するが・・・

しかしだ・・・今般の「北海道胆振東部地震」がもたらした「ブラックアウト」はその便利さや当たり前というゆるま湯に浸かってしまっていた我々現代人に痛烈なしっぺ返しを喰らわした。原発の稼働が制限を受ける中で、火力発電に依存しなければならない我が国において、その火力発電の持つ脆弱性が付きつけられたことを意味し、そんな便利さや当たり前も実は極めて脆く、一瞬にして崩れ去ってしまうことを思い知ってしまったのではないだろうか?

最後に、地震や台風などによる被害、いつ我が身に起こるか分からないご時世、対岸の火事としてはいけないが、どうか、年老いた母親がこれ以上の苦難に遭うことがないよう祈ってやまないのである。

2018年9月8日 | カテゴリー : 心情 | 投稿者 : 石川 利人